作品名:反射率0.72①
元ネタ:東方Project
公開日:20210201
公開場所:旧自サイト(閉鎖済)
頒布イベント:東方蛍光祭4※開催中止
掲載誌:反射率0.72
§
彼女の持つ特殊な力に名前をつけるとするならば〝白痴であること〟だ。その意味が、それが我々に何をもたらすのか:雲月築君:君にわかるかい?
バカだってことです;それ以上の意味なんて無い。
茅野にとって窓が何を意味するものなのか、僕には洋として知れない。何に視線を送り何に注目し何を感じ何を可笑がるのか、いつもと同じく、全く文脈を持たない笑顔を浮かべている;それはにつこりと透明に澄んでいて悪意のかけらもない。ふわりと少しだけ開いた唇、疑いの余白さえない天然の笑顔をくゆらせたまま、摩天楼のギザ歯に食いちぎられる地平線へと濡れるように滑り込む斜陽の塊へ、いやそれを切り取って映し出す窓枠に齧り付いて、毎日そうであるように、今日も日がな一日をそこで過ごしている。僕はもう、彼女のそれを、なぜ、と問うのを辞めた。それは自然なのだ、自在の存在を絵に描いたように、彼女の佇まいはそこにそうしてあるべきであって、そこにそうしてあるものなのだ。なぜ、など、意味を持たない。僕はそう考えるようにしていた。そうすることが彼女を楽にしているのだと、僕自身への言い訳になっている。それを〝バカ〟と評するのは、僕は適切だと思っている。〝バカ〟の言葉の普遍的意味を無理に捻じ曲げたとしても、僕はそうする。
僕がたといそうだと考えていて、目の前の男がそれに賛同する言葉を口にしようとも、目を細めて茅野のことを見る男には彼女の崇高さの1ミリだってわかるまいと思う;「女神」と表するその言葉に、浅はかさしか感じない。
答えは、した;同意も、まあ、しよう。
茅野は日がな一日年がら年中、ああして窓に齧りつき外を眺めて笑っている;癲狂の娘と巷では知れたものである。
他の大多数な家庭の大黒柱が細いとは言わないが、幸運にも僕はそれよりも太い柱を持っている;流石に働かなくば立ち行かないが、働けば余る。他の暇を持て余した有閑貴族共と同様に、書生や女学生を住み込ませることを、近所の付き合い連中も何より僕自身〝嗜み御尤も〟と思っていた。だが実際に僕が招き入れたのは、書生でも女学生でもなく、学問に全く不具な癲狂の娘、毎日窓から顔を出して外を眺める女の姿は初めこそどこか優雅なものだったのだろう、印象良く通ったものだがそれも束の間、それがまるで置物のようにずうっとそこにいるものだからまともな女ではないのだとすぐに知れ渡った;印象が翻り後妻か愛人と云われていたのは僅かな期間、彼女が知恵遅れの娘だと判れば僕の方こそ気でも違えたかと言われる始末であった。
そんな彼女茅野をして、女神だなどと言い褒めるこの男に、同意はしようが同調などできようはずもない。男の真意を僕は察していて、彼が何をしにここへやってきて、そしてなぜ彼が茅野をそんな風に呼ぼうというのか、知っているからというのもある。
男が僕を振り返る。冷たいが、鈍らだ:僕にはそう思えた。茅野が僕を見る目はときに、背筋が凍るほどに冷たく、僕の心臓をそこから身じろぎ一つせずにさらりと真っ二つにするような鋭い視線を、呉れるのだ;それも、笑ったままに。彼女のそれに比べれば、この男の視線が一体何するものぞ;これを冷徹と評するサロンの面々も高が知れているというものだ。
君は〝かつて日本の首都が東京だった頃、巨大な爆弾が東京を破壊しそれを引き金に世界大戦が発生した。だけどその爆弾はどこかの国が透過したものではなく、たった一人の超能力者の能力が暴走したもので、日本はその超能力者を地下深くの施設に冷凍封印している〟なんて映画を見たことがあるかい?あるいは〝梵蒂岡の地下には堕天使が一人封印されていて、こんにちの教会は堕天使すなわち悪魔崇拝だった。その堕天使の力を求めて国同士が争う〟などかな。
知りません、随分古風なつくりの話;流行りそうにないですね。
そうかな、流行ると思うがね;流行るというか……現実に。それにしても茅野君は美しい;こうして窓辺におれば白百合を飾ったように華やぐ。私に妻がなければ、私が彼女を身受けしていたろう:君に渡る前に。いやはや、君にも細君があったろう。昔から君は、妙に人気のある男だった。これを見るに、今もそうなのだな。
茅野を奪いに来たのだ、言外に、だが堂々と男はそう言っている。
生憎、妻は今は彼女の実家におります;しばらくは戻らないでしょう。
僕がそう言うと男は、ほう、とわざとらしく驚いた風な顔を作ってみせる、そしてもう一度彼女を見てニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。この男のいやらしさには、性的なものが含まれていない;そのことを僕は重々に承知しており、しかしそれ故にこの男の考えることや言動に、反感を抱く。彼の言うことは逐一正しい;何も間違いがなく、かくあるべしの見本を提示する。そうした言動を他へ向けるにはそれを現実たらしめる能力を持つ者でなければ〝この詐欺師〟と指弾されようものだが、彼にはそれが備わっている;だからいち反論ができないし、沈黙するしか無い。だが、そうした正論の中に、まるで砂金の山の中に一粒、二粒だけ、赤銅の粒を混ぜ込むように、この男は自らの不義理をあたかも理性のように通そうとするのだ;加えて言うのなら、彼が通そうとするその僅かな悪意は、他の誰から見てもその価値がわからない。そして、だから、その卑金の不義理の殆どは容易に見過ごされ、殆どの場合彼の意のまゝ上手くいく。今、彼が茅野を求める言動が、正しくそれだった。何を考えているのか見当もつかない、だが、ただ無性に胡散臭く、腹立たしい。彼は僕のことを〝昔から妙に人気のある〟と評したが、同じ様に返してよいのであればこうだろう:〝昔からこの通り胡散臭い〟。
僕は彼に言葉を投げる、投げつける;その言霊がエネルギーを発生し彼を吹き飛ばす仕事量となることが叶うのならば、実際にそうせんとする勢いで。だが僕の胸中を知ってか知らずか、彼はゆっくりと僕を煽り立てるように見返し、その高慢な表情で僕をそして茅野を、舐め摺るように見る。
なにかな?
勝手に彼女を、あなた達の望んだ幻想の産物にしないで下さい。彼女は―彼女はただの、バカな女です。それ以上でも、それ以下でもない。彼女は、渡さない。
彼女が本当にただのバカであるのか、そうでないのか、それを決めるのは残念ながら君ではない。君の望むと望まざるとに関わらず、彼女はもうそういう存在になってしまった。君も、そういう彼女の佇まいの美しさに惹かれて、あれを囲っているのだろう?何も知らぬ何にも汚れぬネゲントロピー。それが彼女だ。違うかい?
僕がムキになって否定するのを、男は見透かしている。それに、僕は妻がここにいないことを理由に彼女を迎えた、と自負していたが、それは言い訳に過ぎなかったとも、今では自覚がある。だから、尚更だったろう。それでも男はこれ以上僕の気を荒立てても意味がないだろうと知ってか、何事か勝手に頷いてから椅子にかけたスーツを拾い上げ、帽子を手に取る。
用件は伝えさせて貰った、今日のところは退散しよう。だがこれは、私の希望、という性質のものではない;既に規定事項であり、総意である。然るに私にもこれを覆すことは出来ないし、故に誰にも覆すことは出来ないこと、承知置いてくれ給え。また来る;その時には彼女の嫁入り道具一式でも、揃えておくことだね。
男は、ずかと勝手に家に立ち入ってきたのと同じ様に、帰るときも勝手な様子で出ていく。見送りご苦労、高慢な労いを吐き捨てながら、上等な革靴にするりと靴箆を通して立ち上がる。口惜しいが、役者か何か、いやそれ以上に様になっている。八雲とはそう言う男だった。そして、玄関の引き戸を擦りながら、斜に半ばだけ振り返るようにして、最低な捨て台詞を、置いていく。
§
くっきりと特徴のある四季が刻まれそれぞれに特色のある姿を見せる幻想郷でも、流石に毎年同じ季節が流れるわけじゃない;長期的な視点では気候にゆらぎがあって、暑い夏も寒い夏もあるし、雪の降らない冬もある。極端な例でいえば春がなかった年もあった。それでもこの幻想郷が素敵なのは、長い目で見れば概ね安定的な気温と四季の変遷を:ボクの記憶の限りにおいては:繰り返しているということだ。ついでに蛇足を入れるなら、これでもボクは幻想郷じゃ長寿な方。つまり、そういうことだ。でも、ここ数年だけは顕著に様子が違っていた。
あぢ~。窓開けていい?
いいけど、忘れないで閉めてよ
わすれねーよ。それよりおまえさー、この温度で部屋閉め切ってるのおかしーからー
そんなに暑いなら射命丸さんところにいけばいいじゃないか。KAPPA製の〝くーらー〟があるんだし
あやがあつくるしいからヤダ
なんだいそれ
暑さで床で溶けているチルノはのそのそと床を這いながら窓辺に近付き、次から次に片っ端から窓を開ける;チルノ自身は確かに個体なのに、見てるこっちが目を覆いたくなるほど怠そうな動きで床を(直射日光が射さないここでは地べたのほうが幾らか涼しいのは認めるけど)動き回る姿は、まるで液体みたい。上半身を少しだけ浮かせて腕を伸ばして最低限の高度で器用に窓を開ける。どこに何があるのかわかっているみたいでほとんど目に頼っていない;ボクの家の構造を知り尽くしてるから出来る芸当だと、呆れるやら感心するやらだ。ボクの家の窓をほとんどすべて開け放して置いてから、たいしてかわんねーや、と恨めしそうに言う。じゃあ閉めてよう。
そういえばさ、チーって自分で氷作れるんじゃないの?氷作ってひんやりすれば涼しいじゃないか
はあ?お前あたいよりバカだろ。保存法則知らないの?
ぇ……ホゾンホーソク?それって、慧音先生から習ったやつ?
いや、多分習ってないけど
なんかチルノの口から難しそうな言葉が出てきた。しかも習ってないなんて言ってる、なんでそんな事知ってるんだろう。さてはまた彼女の独自理論なのか、それならそれで納得してしまいそう。
あたいが〝つめたい〟で氷を作ったとしても、元々そこにあった〝あつい〟はどこかに消えちゃったりしない。あたいが凍らせた分の〝あつい〟は、あたいの体に返ってくるの。だからこんな暑い日に涼しくなるほど氷なんか作ったら、あたい溶けちゃうよ
そうなの?いっつも結構激しく氷作りまくってるじゃん……チー何回茹死してるの?
死んでねーし。流石に全部は返ってこないっぽい
あ、なぁんだ。じゃあチーが溶けた分の残りはどこいくの?
しらない。湖の水でも沸騰してんじゃないの?
こわ
なんだか氷を作るのが面倒くさいからって適当に言いくるめられてしまっただけのようにも聞こえるけれど、彼女自身が暑がってああやって溶けてるんだから氷を作らないのではなくて作れないなのは本当なのかも知れない。
それにしてもここんとこ毎年暑すぎない?
冬も寒くないしね。全体的に気温が上昇してるんだってさ。……ってことは、世界のどこかには今も涼しい場所があるってこと?
さあ
さあって。さっきどこかには行くってゆってたじゃないか
来年返ってくるのかも
なにそれ来年でいいの?借金みたい
よくわからなくなった。でも〝あつい〟はともかく〝つめたい〟について、チルノは専門家だ;その分野での体験や実験的根拠に基いた経験則を全部集めて示すことが出来るなら、もしかしたら慧音先生や八意先生の知らないこともあるかも知れない。その自覚はないのだろうけど。もしそういう何かがあって、それをチルノだけが知っていて他の誰も知らず、そしてそれがこの猛暑の原因を解き明かすとか、解決策を導くとか、そういう事があれば、チルノはヒーローだろう。あるいは―
溶けていたチルノがミミズみたいにうねって〝み、みず……〟と言うので(なお部屋の中は全く寒くならなかった)井戸水を汲んで持ってきてあげると、彼女はそれに自分で氷を浮かべて〝ひんやり〟が水全体に行き渡るのを確認してからそれを飲み干した。さっきと言ってることが違わないか。でも、全部返ってくるわけじゃないと言っていたのを思い出す。ボクがチルノに氷を(自分で仕事をせずに)作ってもらってひんやり涼むのに比べれば効果は小さくなるのだろうけど、彼女の中にはそれなりに〝仕事の差分〟を涼む経験則が備わっているのだろう。
レティ叩き起こすしかないかなー……あっ
え、なに?
レティがそうなんだよ
え、なに?
だから、〝あつい〟の借金だよ
え、なに?
リグルさ、あたいにバカっていうのもうやめろよな?
だ、だって……で、〝あついの借金〟ってどういうこと?
レティは魔法瓶なんだよ。レティが太ってる年って、いつもより寒いじゃん
うん、〝太ってる〟は秘密にしといたげるね
今年暑ければその〝あつい〟は来年とかもっと先とかからの借金ってことか。確かに今までの過去の印象から言って、暑いと寒いは糾える縄の如し、という感じはする。で、レティさんがその〝あつい〟を入れておく魔法瓶って、チルノすごいこと考えるなあ。〝あつい〟ってのは貯めておけるのか。でもレティさんは〝あつい〟じゃなくて〝さむい〟の方だと思うけど……一緒に入れるとどうなるんだろう?ボクは氷水の中に火の点いたマッチ棒を落とすことを想像する。全然イメージできなかった。
とか考えているうちに、チルノは目をぐると回しながら、レティさんをトキシラズに起こそうという考えを推進してるみたいだった。暑くていつも以上にイッちゃってるらしい。
もういい、レティを起こせばとりあえず幻想郷断熱系内では今より低く平衡するから、そのあと霊夢に殺されて再発生した方が、幸せ総量では勝つる、勝つるんだ……
やめて、そういうスーサイド発想やめて。こんなところで無理にレティさんを起こしたりしたら幻想郷が狂っちゃうよう
この熱帯夏はとっくに狂ってるってばよー、リグルは良いよな夏の生き物だろ?この暑さも気持ちいいくらいじゃないの?
虫は寒いのも暑いの苦手なんだよ、暑くていっぱい死んでる。
えっ?虫って暑くて死ぬの?
うん。ここ数年の暑さで家族全員死んじゃって二度と会えない種が、たくさんいる
そうなの……ごめん
心做しか部屋の温度が下がったような感じがする。しゅん、と小さくなっているチルノ、こういうときに素直に
虫種の大量絶滅なんて、長い歴史じゃ今までにも何回もあったことだって、歴代リグルの申送事項に含まれてる。ボクらはいつでもそうやって生き延びてきた。滅ぶ種をどうにかして守ろうとするのじゃなくって、生き延びた種が滅んだ種のことを正しく継承して、正しく記憶して、そして正しく偲ぶこと;それが蟲というの続き方だ。そのための旗手としてボクがいるし、ボクは死んでも誰かが次のリグルをやる。次の有力候補はヤマメかな、ボクより断然に妖怪としての力も強いし。でも、強いからって環境に適応できるかどうかは、別だ。奇異な事に、ボクは弱っちいにも拘らず随分と長いこと眷魁をやっている;それが、何を示すのか、ボク自身の口から言うことではないのだけれど。
……ごめん
あっはっは、虫の家族がいっぱい死ぬのなんて、ボクにとっちゃ幽香さんに殴られる位の痛みしか無いよ!
それやべーやつだから
例が悪かった。
怒ってないって。ほら、無理して部屋の温度冷やさなくていいから;暑いんでしょ?チーよりは暑さに強いのは本当だってば。変なこと言ったよ、ボクの方こそごめん。
なんでリグルがあやまるの?悪いのはあたいじゃん
悪いのは天候だよ;チーじゃない
じゃあやっぱりレティを
だーめー
チルノとレティさんの関係は、特別だ;何ていうのか、霊夢さんと八雲太妃を見ているよう。霊夢さんは歴代の博麗の巫女の中で、何かが違う。何が違うのかはわからないけど、八雲太妃が霊夢さんを見る様子は、ボクの知っている限りでは、それまでの巫女に対する態度と全く違っていた。八雲太妃が不定期に眠りから目覚めては霊夢さんと何事か企てたり行動したりするのに対して、レティさんは毎年ある時期になると起きてくる:勿論冬の入口のことだ。そのときのチルノの嬉しそうな表情と言ったらない。
これは私見だが幻想郷の冬は、レティさんの元へ、彼女に選ばれた氷雪属性の妖精が礼拝する事によって訪れるのではないか、と思っている。謂わば、チルノは冬の巫女。彼女は気付いていないかも知れないが、彼女がレティさんに惹かれるのはもっと大きな何らかの意志によるものだろう―あるいは、レティさんの、意志なのか。チルノは氷の妖精でも格別に大きい存在で、その座が他の妖精に移る気配は感じられない。チルノの力の大きさを支えているのは、恐らく結果的には、四則同盟だろう。
あぢ~。窓開けていい?
さっき開けてたじゃないか。忘れちゃったの?
あっ……えへへ
どうせあんまり利かなかったでしょ、とボクが代わりに窓を閉めると、チルノはどこかばつが悪そうに、ちらり、ボクの方を見てぼやき、顔を伏してからバタ足を動かしている;どこかいじけたみたいな仕草だけどあれは、彼女の恥ずかしさの現れだ。わすれるわけねーだろ、と言っていたのに見事忘れたのを、きっと恥ずかしがっているのだろう。彼女がそうしてすこと記憶を抜き落としていくのを、ボクは、そして他の誰もが、十分に知っていて、口汚くバカにすることもあるけど、根底では悪く思っていない。その忘却が、彼女のエネルギー源なのだと、知っているから。それに、そうした底抜けが、周囲にいるボクたちに元気を与えてくれていることも、わかっているから。
バカで悪かったなー
悪いなんて一言も言って無いじゃないか。
バカの方を否定しろよ!
はははー
こいつ……
窓を開けても、チーはそのことを忘れる。恐らく閉めても閉めたことを忘れるのだろう。彼女の忘却はノーコストということ:それが、彼女が彼女である、所以だ。それで、いいと思う。それをやめろと、もっと賢くなれと言う奴がいたらボクは、きっと反対するだろう。今の彼女を、ボクは守る。
そういえばチー、何しに来たの?
……窓開けに来た
なにそれ?
§
人間の科学力ではプレートテクトニクスを解き明かすことは出来てもそれに逆らうことは出来ないのだろう。それが齎す極めて大きな時間的広がりと甚大な現象に対し、人間は、技術の粋を尽くした〝薬〟を頓服することこそ出来ても、それを解決することは叶わない。日本はいや世界は、今日も熱死に向かう航路を行く。日光は何も、発癌性を増す紫外線を強めているわけではない。地球を宇宙線から守る大気の層は薄まるどころか人間の努力によって十分に厚くなっている。この気温の上昇は、分厚くなった大気によって熱を逃せないからだ、この地球全体が真夏に分厚いダウンコートを着込んでいるようなものなのだ。だから、気温こそ灼熱だが太陽光は刺さるというより包むよう。こうして一日中窓辺で空を見ていても、別に皮膚癌になるようなことはない。尤も、癌だ何だといっても彼女は〝窓〟をやめないだろうが。
名を何と言っただろうか興味がないので忘れてしまったが、友人が名のある椅子職人の手仕事だと言って譲ってくれたものだ;それが本物にせよ贋物にせよ僕の知るところではないのだが、温かみのある木質光沢が輪郭を引く柔らかな曲線を纏った猫脚とふんわりと丸い背もたれが特徴的なアンティークな椅子に、茅野は座っている。
この椅子はもう、彼女のものだ;窓に臨む間つまり一日の殆どは、彼女がこうして使っているのだから。だがそれ以上に、彼女の宿す白痴な美こそ、そうした上等な椅子に休むべきだと思う。
隔世の相:世に謂う美女や麗人の様とは全く異なる、俗世にある美しさの延長とは違うのだ、彼女のそれは。この世に所属するものではないというオーラ、綺麗というよりも奇麗、まるで絵に書いた人形の持つ、生気と知性を抜き去った後にそれでも残る純粋な〝人の殻とその美しさ〟、彼女が知恵遅れであるが故にこの世に生まれ出た、人の穢れを持たない醜美を超えた美。
その窓辺でにへらと笑っている、そのままただ振り返るように、茅野はその顔を僕に向けた。多くの友人は彼女のこうした仕草を不気味だという。頭の中がすっかり抜け落ちたような言動、言葉をかけてもほとんど返してこないし、どこを見ているのかもわからない内向斜視の目は常にふると揺れている。だが、会話にならないわけではない。会話とは言葉によるものだけではないと、彼女を見ていれば少しは意味がわかるというものである。
彼女は、頭を振った:否定の意味だ。そんなことは、別に僕でなくても分かるだろう。飲んでいないという会話は、確かに成立する。表情が全くそれに伴っていないのはここでは会話のインターフェイスとして表情が含まれていないからということに過ぎない。
僕は盆に水を汲み医者から処方された薬袋を乗せて茅野の傍に置く。彼女は再び興味なさげに窓の外に顔を向け、薬を飲もうとしない。今日は窓を閉じ、ガラス越しに外を眺めているようだった。無意味に開けたり閉めたりを繰り返すのも、今日はしていない。全ては彼女の思うままだ。女神様。
11月にもなれば、昔はもう肌寒いくらいだったと聞く。だが今はジリと暑い;蝉も鳴き疲れたのか、何十年も前からこの辺りにはいなくなってしまった。こんにち、蝉という虫を見たければもっと北上するか、山登りでもしなければいけない;暑すぎて彼らはこの土地に適応できなくなったのだという。グラスの水はまだ冷たく今は汗を書いているが、こうしてグラス一杯分の冷たい水を用意するのに冷たくない水が一体何リットル出来るのか、正直僕は知らない。幸か不幸か僕はそれを考えなくとも良い程度には、豊かな生活をしていた;だからこそ、彼女を招き入れられたのだ。
僕が頭を撫でながら薬を促す。相変わらず体温が低い。汗一つかいていない。この温熱な気候にあって、彼女の肌のひんやりとした冷たさは、まるで神聖なもののようにさえ思えた。だが、そうして彼女との触れ合いに心を穏やぐ度、この気温で〝汗一つかかない〟ことが彼女の体の不調だということを、僕は肝に銘じねばならなかった。
後期大量絶滅時代の分離と、当該期に形成された膨大な地盤結合CO2層の発見、そして地球規模のプレート運動により、世界各地でその層が地底奥深くから地表近くへと迫り出す時代に差し掛かっている事実。自身の活動によって温室となった地球では、海洋中に融解しているCO2が人間のかつての想定よりも相当容易に大気へ離脱することがわかっている。
かつて、地球の温暖化に大きな危機感を持ち世界規模で必死の温室効果ガス対策を行った結果、地球の温暖化は相当に緩やかになったという歴史的実績がある;しかし、今度ばかりは具合が違った。人間の開発活動によらない、地球自身による膨大な温室効果ガスキャパシティが提示され、その放出の口火が切られつつあるという事実に人間は、もはや絶望を感じていた;過去の努力への徒労感もそれに拍車をかけている。
人間の努力では、地盤に圧縮格納された温室効果ガスが大気中へ放出されることを阻止するのは現実的には困難であることが、愚かしくも人間自身の手により合意された。仮に地球上の全世界の人間がその目的に対して一致団結できれば、今回も阻止可能だという論理的希望的プロセスが謳われている;だがものの数年で国同士の対立、企業同士の足の引き合い、人同士の不理解が、その人間の理想が人間自身の手によって阻止されていることを示した。
僕は本来茅野が飲むべき錠剤を、自分の口に放り込んだ。
僕らの背後では、ラヂオが世界連携政府のプロパガンダを喧多々ましく叫んでいる。彼らは、太陽からもたらされる地球への熱の侵入を制御して地球大気圏内に籠もる熱を下げようと画策している。そのための人工衛星や、地表の巨大な構造物を建築する巨大計画を打ち立てており、その実施に対する協力を国民……世界の市民から取り付けようというのだ。だが、これも恐らく失敗する。まずコストの捻出に無理がある。それに国同士の対立は地球人類の危機を前にしても収拾ことはなく、人工衛星には軍事要素が含まれると疑心暗鬼。地表の巨大構造物建造については国境の問題から頓挫が明確だった。人間は、自ら、助かろうとしていない。神様がいればこれを見て驚いたことだろう:人間はいよいよ救われたがっていないのか。
そんなラヂオのことなんて、彼らが叫び求める幻想のことなんて、もう僕らには関係がない:八雲さんのことだって。僕らの世界には、もう、僕と茅野だけがいる、それだけでいい。
茅野はボクが口に放り込んだ錠剤の在り処を目で追いかけて、その視線は僕の口へ吸い込まれる。そうすると、さっきまで嫌がっていたのが嘘のように、彼女は立ち上がって背伸びをし、腕を伸ばして僕の首にぶら下がるように手を掛けてきた。軽い、小さい、一体実年齢が幾つなのか僕は知らないが、どう見ても10歳前後だ;だが彼女を僕に売った人間は僕に、それよりも相当高い年齢を提示していた。18だったか、21だったか、その辺だ:正直覚えていない。だが、姿かたちを10歳前後と置いてなお、彼女の数少ない言動はそれよりもなお幼く見えた;やはり知恵遅れの女児なのだ。だがその幼さに対して僕は、異常さも忌避も感じていない;むしろそんな彼女に、真性の性善と、剥き身の人間性を、感じている。世の人間は皆余りにも着飾り過ぎていて僕は隣で会話をしながらいつも窒息しそうになる。……妻に対してさえも、そうだった。
小さな天使が背伸びをして僕の首にぶら下がっている、彼女は口元を僕の方へ寄せるように顔を向け、背伸びでは届かない僕の口へ、自分の口を大きく開けて唇を近づけ、それでも届かないと舌を伸ばす。僕がそれを迎えるように膝を折り高さを合わせると、まるで磁石がくっつくみたいに足を跳ね、僕に絡ませる腕を深くし、唇をくっつけてきた。唇を、という表現は正しくないだろうか;彼女の瑞々しい口が、同じ器官とは思えない僕のそれに少し触れた瞬間に、彼女は僕の口の中に舌を潜り込ませてくる。彼女の小さな舌が僕の口の中をあちこち忙しなく這い回って、そう薬を探していた。僕は舌の上に乗せていた錠剤を、彼女の舌へ引き渡す。器用にそれを掬い取って茅野は錠剤を自分の口の中へ持ち去った。彼女は、その一杯を用意するのに贅沢なエネルギーを投入している冷水に目もくれず、薬を僕と自身の唾液で飲み下す。口元で彼女の嚥下を感じた僕は、唇を離す。すると彼女は僕の頭を追いかけるように小さい手を伸ばして背伸び、非難がましく要求を叫んだ。投薬はこれで終わらない。
きずくやーきずくのんだから、おくすりのんだから
わかった、わかったよ、お姫様
抱きしめればそのまま折れてしまいそうな小ささ、綿菓子を包むように彼女の体を抱き上げる。お姫様、の言葉通り、優しくゆっくりと彼女の壊れそうな体を両腕で抱えて、窓の傍にあるベッドの上に横たえた。
肋から腰回りのラインはするりと真っ直ぐに落ちている。自らの躰を不遜に謳歌する女の、不自然に括れた喧しい腰回りとは違う;自然体で完全な、静寂で本物の美が彼女の躰には宿っていた。不気味に胸が膨らんだり、あるいは腹が凹んだりしていない;未発達な胸、初な腹膜ゆえの柔らかなおなかの膨らみへ続くなだらかな地平は、人間の美しさの本質を留めている。僕の掌で完全に包んでしまえる小さな肩、白桃の表面のような白さと血色が入り乱れた頬。まるでぶかな服を着た子供のように、そこに押し込められた生命力はまだ未成熟な肉体さえをも持て余して見えた。その余白に僕は、宝石のギラツキや化粧の匂いではなく、芳醇な人間性と煌めく生命力を、注ぐつもりだった。知恵の遅れた女児ならば、ゆっくりと地に足をつけてそれを涵養出来るだろうと、考えていた。
だのに、どうして、神はこんな仕打ちを下すのか。
§
押し着せた真っ白いワンピースにはセーラー襟のつけ襟がセットになっていて、それも含めて青色のワンポイントがアクセントされている;伊太利亜で子供服を買い付けているバイヤーから買った、一押しに可憐な一着だ。他にも彼女に買い与えた服は幾つもあるのだが、茅野はこればかりを好んで着る。僕もこれが彼女に一番の似合いだと思っている;洗濯さえできればこれをずうっと着ていることに異論はなかった。僕がこのワンピースを洗濯をしている間、彼女はふんわりとしたキャミソールに、レースをふんだんにあしらったドロワーズだけの姿で、ちんまりとそこに座って洗濯が終わるのを待つ。真っ白だ、雪の妖精がそこに座っているかのよう。彼女はどんなに寒くても、その服でなければ嫌だと言わんばかりにおとなしく、身動き一つせずにじっと、洗濯が終わるのを待った。彼女は冬の寒い日にそれを下着姿で待っている間にも身震い一つすることはなかった;心が壊れた白痴の娘だ、心身に異常を来している性かもしれない。ワンピースが十分に乾くと、僕は彼女にそれを着付ける;まるで人形のお着替えみたいに。でも、僕に腕を取られて、ワンピースを頭から被り、袖を通し、スカートの裾をピンと張り、そしてワンピースとお揃いの青いリボンで雪みたいにふわした髪の毛を優しく結わえて櫛で梳く間、彼女は心做しか満足そうな表情にみえた。この服が、お気に入りなのだろう。僕も、お気に入りだ。
そうだ。彼女は薬を飲んだ。僕の口から。そうして僕は彼女の体をベッドの上に運んだ。小さな体は、本当に人形のようだ;ベッドの端で足を垂らして座る彼女に正対して、僕は床の上に膝を突く。まるで王座に据えた彼女に跪くみたいに。
本当は嫌がっているかも知れない、こんな汚らわしい行為。彼女は犬が芸を覚えるのと同じ様に、僕の口から薬を飲んだ後こうして彼女を劣情の捌け口にすることを、覚えている。それに応じることで、主人である僕の機嫌が取れるのだと。〝おくすりのんだから〟と自分から求めているような言葉を口にはしているが、それもきっと犬が芸を覚えるのと同じなのに違いない。この薬は決して依存性を持った悪薬ではない、医者が処方した、彼女の病を遅らせるための列記とした医薬だ。それでもこれが彼女の〝芸〟だと裏打つのは、茅野は、自分の意志を表示することが殆どないことだ。お腹が空いたとも言わない、のどが渇いたとも言わない。眠いとも言わずに、ことんと落ちるように眠る。トイレに行きたいとも言わず、折を見て連れて行かなければそこで垂れ流す。そんなつもりはなかったにせよ、結果的に僕は彼女に、こうして、投薬の後の習慣、を教え込んだのだ、きっと。
リボンで結った艶めく柔らかな髪の毛の頭を撫でる。彼女は僕の手を目で追ったり、撫でることに反応を示したりしない。ただ、へらと半開きの口で笑って何を見ているのかわからない瞳を震わせている。穢れなく美しい彼女を包み込む白のワンピースの肩に手を乗せても、何も反応はしない。ただ、彼女のちっちゃな手とほそっこい指は、僕の腕に乗せられる;幼い手らしい、瑞々しく潤った肌を感じた。
座らせた彼女の白い脚の曲線に手を触れる;筋肉がなく柔らかな肉付きの輪郭は、幼さと抱き合わせた未熟だが煌めく生命力を秘めているように見えた。これが、どうして、病に冒された体の一部だろうか;こんなにも澄んでいて美しいのに。
こんもりと愛らしいくるぶしを撫でる。足の甲に口付けて、小さな足の指の一本一本にまで接吻の雨を降らせた。ミニチュアみたいに小さな足の指の爪の表面は未熟に柔らかさを保っている、初々しい美しさに恍惚としながら僕は足の爪の生え際を舌でなぞった。柔らかい感触とはっきりとした輪郭の混合物が舌先に伝わってくる。
こんなにも美しいものに、僕は何ていう汚らしい感情を抱いているのだろうか。罪悪感が胸の中で渦巻くが、しかし求めてしまう邪悪さに打ち勝つことが出来ない。彼女の神聖不可侵さえ感じさせる白い美を前にして、僕は、勃起していた。下劣な感情と欲望が、女神の前で裁きを待っているよう。ズボンの下でむず痒く窮屈に震えている。今すぐにでもここで開放して、彼女の白い肌を見ながらこの悍ましく汚い肉の棒を扱きたい。僕はその欲求を、唇を噛みしめるほどの思いで我慢する。今じゃない、それは。彼女を愛し、慈しみ、許し得てから、やっとそこに至れるのだ。
常温の雪を思わせる純白のふくらはぎを遡ってスカートの中に手を滑り込ませる、小さな膝頭を捕まえて掌で包み込んだ。関節の骨ばった形を感じるというのに、それさえも丸く柔らかく、マシュマロのように思えた。膝の裏の筋まで細く柔らかく、齧りついてしまいたくなるほど愛らしい。その間の柔らかい部分に指で触れると、こそばゆそうに身を捩る。美しい、だのに、可愛らしくて甘い。
我慢ができなくなって、僕は両手を使って彼女の太ももを守るドロワーズを遡り、腰回りに指をかける。ふかとした幼い肉感が、ドロワーズの布地との境目に感じられた。指に掛けたそれを、そっと、ゆっくりと、おろしていく。スカートに隠れたままで見えないが、これはもう数え切れないくらいに行ってきた僕の手は、それを完璧に記憶している。それはもう〝儀式〟にも近い:彼女を、讃える。
茅野……美しいよ、嗚呼、美しい……穢れのない、真っ白の、茅野……
股の間に、湿った冷たさを感じた;僕の肉棒は我慢に焦れて先走りを漏らしているのだ。なんて、なんて汚らわしいのだろう。茅野を前にして、こんな悍ましい獣のような欲望を。でも、それを堪え切れない。彼女の美しさは、僕の汚らわしい獣欲を拒絶する不可侵をまといながら同時に、それを掻き立てて止まないのだ。
なめらかな足から純白のドロワーズを抜き取る、まるでプレゼントの箱に白詰された花を取り除いたときのような、胸の高鳴りと、それと同時に罪深い自分自身への内罰意識が渦巻く。これほどに美しいものを、僕の手で外気に触れさせてしまうなんて、何という罪深さだろうか。僕は許しを得るように茅野の顔を見上げる。彼女はその場所から窓の方を眺めて、やはり薄っすらと笑いを浮かべたままだ;僕の方には興味を示していない、視線もくれない。ああ、なんて、なんて。脱がせたドロワーズを真四角く綺麗に畳み、ベッドの上に置く。
彼女は僕の行為にいいもわるいも返さない;その断りは、僕自身の儀式的ルーチンに過ぎないし、その言葉を口にすることが自分自身の興奮を高めていくアソシエーションだ。そうして高鳴る鼓動と下劣さを増す下半身に身を焦がしながら、彼女の包装紙を剥いていく。
体を立てて腕を伸ばし、彼女の背中に手を回した。僕が彼女の視線と窓の間に入り込むと、体を傾けるようにして窓を見続けようとする。あの小さな窓が、彼女の何の執着を生んでいるのかはわからないが、それほどに視線を向けてもらえるのなら、と僕はいつでもあの窓になりたいと願っていた。彼女の横顔に頬を寄せるようにして、つけ襟を外し、ついでワンピースの背中のボタンを外す。つけ襟もきれいに畳んでベッドの上に置いた。背中のボタンを開いて余裕の出た肩周りに手をかけてそれをずらすと、キャミソールの紐をかけた細く透明ささえ感じる白い曲線、肩の関節を包み込む張り詰めた瑞々しさに、僕は思わず口付けた。ひとつ、ふたつ、と唇で舐め、茅野、と彼女の名前を呼ぶ。彼女はやはり僕のことなど木にせず、笑いながら窓を見ている。ああ、どうかそのまま、穢れのない聖女でいていて欲しい。僕がどんなに君を汚そうとも、まるで撥水するように僕の穢れを、僕を拒絶する白でいて欲しい。そうして無視され、拒絶されることが、僕を、彼女の引力に誘うのだから。
この体が、溶けて続けているだなんて、信じられない。いや、信じられる。この真っ白い体と、意思の白じんだ精神、彼女は、雪なのかも知れない。そんな儚い様は余計に僕の劣情に油を注いでしまう。小さく幼いだけでなく病に冒された、脆弱な体だと言うのに、僕はこれを―。
僕がそう言うと、彼女は素直に両腕をまっすぐ上にあげる。いいこだ、耳元に囁いてから、青白のワンピースをするりと脱がせた。これが年増で凹凸のある喧しい女の体であれば、これほど美しく脱ぎ去ることは出来ない。人形のよう、完全な美が宿る体だからこそ、だ。ワンピースが脱げた下には、キャミソールの薄衣かかる膨らみのない胸と、筋肉がなくふんわり膨らんだ腹に凹む愛らしいヘソ。それに、まだ茂みが生じていない、未開拓のまま保たれた神聖の谷が、見える。そのキャミソールもいよいよ彼女の体から抜き取った。真っ白い砂糖細工の妖精が、目の前でゆったりと笑っている。僕の下半身は限界まで張り詰め、パンツの裏地に先走りの汚液を塗りつけてしまう。もう、破裂寸前だ。
僕は彼女の頬に口付け、そのまま細い首、繊細な鎖骨の膨らみに舌を添わせる。そしてそのまま、一切の膨らみを持たない胸に、唇を寄せた。真っ白い肌に、ぽつん、と咲いた可愛らしいピンクの蕾。暴れだしそうな呼吸を無理やり押さえつけながら、僕はその花蕾にキスをする。傷をつけてはならない、吸い付いたりすれば、ここに赤い痣が残ってしまう;そんな罪深いことは出来なかった。優しく、唇で撫でるように、そして舌さきで、ちょこんとのった小さな突起を舐める。甘美な蜜が、そこから溢れていて甘ささえも錯覚してしまう。傷つけないようにゆっくり、ゆっくり、優しく、神聖な蕾を味わうと、興奮のあまり目眩を覚える。心臓が鼓動と切なさの両方で張り裂けそうに暴れていた。興奮で加熱した深く大きな呼気を吹きかけることさえ恐れ多い気がして、小さく刻んだ呼吸を繰り返す。目の前には新雪の雪原にも似た白い肌の胸、お腹。そこを目指して、顔を下ろしていく。決して欲望に負けてこの白い肌に吸い付かないよう自制し、そうして自らを律することが茅野への崇拝の証であると自らに課す。
はぁ、はぁっ茅野綺麗だよ、かわいいよ……茅野
熱に浮かされた譫言のように、本名かどうかもわからない彼女の名前を呼ぶ。その度に僕の下半身は欲望で突き破られそうになった。触りたい、扱きたい、その衝動を抑え込んで、へそのくぼみに到達した。膨らんだお腹に唇を寄せ、凹んだへその中に舌を入れると、さすがの彼女も身を捩る。僕に、僕の汚らしい欲望に反応を示してくれている。堪らない。ああ、もう、もう早く……っ。
もう一度彼女の顔を見上げる、やはり僕のことなど見ていない。でも、彼女の手は僕の頭の上に乗っていた。頭を撫でてもらっている、恐らく僕がいつも彼女にそうしていることを、覚えているのだ。茅野は僕の頭を撫でていた。女神の愛撫が、僕を恍惚の淵に叩き落とす。
へそを離れて、そのまま一気に、太ももの間に顔を挟む。低い体温でひんやりとした肌の冷たさを、寮の頬に感じた。すべの肌触り。この世のものとは思えないふわでさらの太腿肉に、唇を付けた。ああ、食べてしまいたい、このまま口を付けて、歯を立てて、この柔らかい肉を貪ってしまいたい。そんな衝動に駆られる。でもそうして彼女を血肉の存在にしてしまいたいというのでもない、神聖ないっこの存在として、僕の中に瑕疵なく飲み込むことが出来るのなら、何という幸せだろう。それが出来ないから、こうして、撫でて、頬ずりして、愛しているのだ。
柔らかな膝頭を掌で包んで、優しく左右に開く;彼女の足は抵抗しない。開かれたその中央に、一切毛の生えていない、なめらかな白い肌が吸い込まれるように内側へ続く、谷間があった。もう、自制が、あぶない。優しく、出来るだろうか。
白く奥へと続く雪原面の谷間に、僕は吸い付いてしまう。舌を出してその谷間に入り込もうとしてしまう。嗚呼、そんなことをしては彼女の体は傷ついてしまうじゃないか。でも、嗚呼でも……!
無垢なわれめに口をつけたまま舌先をその筋目に沿わせて上下に動かす。彼女は身を捩って少し反応を示したが、それ以上の反応はなかった。嫌がっているのかも知れないが、許されている。僕は勝手にそう感じて、彼女の秘密の谷を、汚い唇と舌で探検する。なめらかな巻き込みには過熟に崩れた肉溝の汚らわしさが一切ない。包まれ守られた聖なる処が、そこだった。僕は荒くれる呼吸を鼻にさせる、口はそんなことをしている暇がないのだ。そうして鼻腔を通り抜けるのは、彼女のそこの匂い。少しだけ小水の香りがするが、それ以上に漂う、未熟な果実の香り。
茅野、ごめんな、茅野っ、僕は、もう我慢が……っ!
僕は立ち上がり彼女の体を持ち上げ、ベッドの上に横たえる。そして僕自身もベッドの上に乗り、横たわった美しい白い彼女の裸体を俯瞰できるよう膝立ちになる。そして、恐れ多くも彼女の前で僕はズボンを下ろした、パンツも一気にズリ下ろす。悍ましい汚れを孕んだ肉棒が、彼女に襲いかかろうと天を衝きよだれを垂らしている。だがそうはさせない。僕には彼女を壊すことなんて出来ない。
嗚呼、っ、ごめん、茅野ちのごめんっ、君を、汚してしまう、でもっっ……!!
叫ぶように許しを請いながら、その言葉とは裏腹に汚らしい行為を始めてしまう。僕は彼女の目の前でペニスを握りしめ扱き立てていた。ずっとお預けを喰らい焦れ続けていた肉棒は感度を増している、張り詰めた水風船のように小さな刺激でいつでも破裂してしまいそうだ。
ペニスを扱く度にトロと先走りがベッドに垂れる。男として情けなく恥ずかしいくらいに、僕のそこは彼女への侵入を懇願している。涎、いやそれは、涙だ、汚させてくれ、僕に、君を汚させてくれと、訴える汚らしく臭い、下劣な涙。
ひと扱き毎に絶頂へ上り詰めていく、もう止まれない。目の前の愛おしい人形に向かって僕は、汚濁の飛沫を撒き散らそうというのだ。恐れ多い、背徳感、罪悪感、それに、興奮。
彼女の目線は窓……を見ていなかった、必死にペニスを扱き立てる浅ましい男の方を見ていた。表情は、変わらずの薄ら笑み。でも、その忙しなく動き回る視線は今は、窓ではなく、僕のペニスを見ていた。その事実が、僕に、とどめを刺す。
ペニスが、爆発したかと思うくらいの強い射精感。肉の穴を通り抜ける精液の勢いに自分でも驚いてしまう。飛び出した悪臭白濁は、勢いよく彼女の体に降りかかる。平たい胸、膨らんだお腹。もう一発吹き出して、またお腹、へそのくぼみ。麻薬に犯された脳髄はこうだろうか、ペニスを擦る手を止められず爆ぜる快感に中毒しながら、更に射精する。もう一度勢いよく飛び出し、彼女の肩の辺りまで飛沫き、そして脇腹に垂れ、下腹部に乗っかって、太腿へ。もっと、もっとだ。悪魔に導かれるように聖女を汚す。へそのした辺りに一筋、狙いがそれて太腿に。
だめだ、そこに掛けるのだけは、絶対に。視線を送らないように努めてきたが、もう悪魔の囁きに逆らえず、いよその白い溝に視線を送ってしまう。心臓がハンマーで殴られ、新たな衝動が突き上がる。ペニスを扱く手に再度力が入り、睾丸が最後の渾身を込める。噴き出した精液はなお多く、僕は彼女の未成熟の割れ目に何度も、何度も何度も、汚らしい白濁液をぶちまけた。
もっと射精したい、もっと彼女に、僕の汚れをかけたい。そう衝動するが、もう睾丸の中には精虫は残っていないようだった。何度しごいて絶頂痙攣しても、情けなく透明な液体が垂れるだけ。そして僕の血管を行く血も、酸素の代わりに甘美なガスを運んでしまったみたいで、僕の脳髄は意識をちかと明滅させる。体から力が抜けて、僕は彼女の横にドサリと倒れ込んでしまった。
息が荒ぶって、収まらない。心臓も獣じみている。それに、何回こうして彼女を汚してこれを後悔する思いに苛まれても、またこうして彼女を汚してしまうのだろうという自己嫌悪の沼の上に、僕は足を乗せていた。
彼女の体を、また汚してしまった。お風呂を沸かして、優しく綺麗にしてあげないと。
僕は許しを請うように言うが、同時に烏滸がましくも彼女の頭を愛おしい所有物ののように撫でてしまう。彼女の頭を奏して撫でながら、幾ばく化の時間を過ごす。
呼吸が落ち着き、射精の陶酔が醒めて意識と理性がはっきりとしてくると、その時の記憶を鮮明に内省できてしまう。欲望を吐き出し空になって静かを取り戻した胸中で、思い返す;すると不思議な記憶の種を、見つけ出した。
僕が茅野に欲望の塊を掛け散らかしたとき、彼女の表情が変化したように見えた;さくらんぼのような唇が、白痴美な薄ら笑みとは違う笑いを、浮かべなかったか?
いや、それは僕の願望がそれを見紛わせただけに違いない。そんな都合のいいことを、僕は考えてしまうのか。
だが、記憶の中の彼女の頬は赤く上気しているように見えた。吐息は深く湿っているように感じられた。僕の名前を呼ぶ声が艶めいて聞こえた。身動ぐ彼女の体が艶かしくくねったように見えた。
そんなはずはない、彼女は、茅野は、何もわからない知恵遅れの女児だ。僕の行為が何であるのかわかっている筈がないし、彼女がそれを持っている筈なんて無い。茅野は体だけが年齢相応に育ち一方で精神には異常を来した壊れた白痴で真っ白な女だ。僕の欲望と対になる汚らしいものを、その体に内包している訳がない。ない。ないのに、その表情は……嗚呼、きっと僕の内面がそうさせているのだ、自分の汚らわしい行為を正当化させるために、僕が僕自身に幻を見せている。
半開きの口、焦点がどこにあるのかわからない内向射視の視線、ふわ、と浮かぶような、僕以外の者に言わせれば「薄気味悪い」笑顔を貼り付けたまま、僕の方を見る茅野。美しい、穢れのない美の結晶。曇りのない、真っ白。僕は、うわ言のように僕の名前を呼ぶその人形じみた女を、もう一度掻き抱いた;今度は、それが綿菓子であることを忘れたように、強く。
彼女は僕の名前をぽつと口にするだけでそれ以上は何も言わない;僕はそれを赦しのように、独善していた。
§
暑すぎる。何より、ニンゲン達がヤバそう;水がないわけではないので田畑が干上がるということはないのだけれど、それでも従来の作物は今までのやり方では上手く育たないらしい。一部には上手く転作出来た者もいるようだが、食料の総量が絶対的に少なく、熱中症による死者に加えて既に低栄養による健康被害も現れている。このままでは餓死に繋がり飢饉へ突入するだろう。
こういうときに人間の実情を知り自然と深く関係を持つ妖怪の知的階層は、対応に苦慮する。表立って人間を助ければ妖怪の権威に関わるし、ニンゲンを見殺しにすればそれも自分の首を絞めるからだ。ボクは職権を乱用して作物を食害する虫達に食餌制限を設けた。紅魔館は備蓄を開放した。幽香さんは転作に成功した農家を参考に同種の作物を他の田畑に繁茂させた。細い水源が干上がらないよう河童は水量を調整していた。そしてそれらを、神や神社の御業に転嫁する。巫女や神自身は、苦難を強いる自然現象を妖怪や悪神の〝悪事〟とすると同時に、妖怪が救済の意図を持って齎した人間に好ましい現象や怪異・異変を〝うちの奇蹟だ〟と吹聴しながら人を救い、そして彼らは妖怪達とは裏で口裏と利益の平仄を合わせるのだ。妖怪は畏怖を収穫し、神々は信仰を獲得する;これが幻想郷のニンゲン支配の体制。それに気付き明るみに出した人間の占術師がいたが、幸か不幸か彼は支配の側に立つことを望み、禁忌を犯して人妖と化して博麗に消された。あれが「妖怪ではなく神になろう」としたり、「人間を煽動して妖怪や悪霊を打倒しよう」という動きになっていたら、と思うと内心冷えとする。
と。ニンゲン達に密かに与してみせたボク自身、もうこの暑さにグロッキーだった。気温の変化にやられて再起の叶わない種も増えてきた。それでも虫たちの中には地中で暮らしてほとんど地上に出てこない者や、そもそも温度変化に強い者たちもいる。あるいは環境が悪化すると適した環境に戻るまで生命活動を縮退して耐久する者もいる。このまま熱帯が継続してもそれが一過性のものであるならば絶滅ということはないだろう。妖怪として超常の力を用いたり人間らしい利器を用いて暑さを凌ぐことが出来る以上はボクが先にどうにかなるということは無いのだけれど他のみんなはどうだろうか、特に、チルノなんか―
おーう、リグル、どうしたー?
あれ……?
元気ないな?
え、暑いの苦手なんじゃなかったっけ
んー、なんか、気持ちよくなってきた!
なんとチルノはボクの斜め上を行っていた、暑い中外を走り回って遊び、元気よく活動している。元々は霜みたいに真っ白だった肌を今は小麦色に焼き、太陽の象徴であるヒマワリを相棒にして、彼女はまるで雪の中を駆け回る犬みたいにはしゃいでいる。この間まで床で溶けていたのと同一人物とは到底考え難い。
リグル、暑そうだな?
人並みには暑いよ……チーはどうしちゃったの、こないだまでと全然違うじゃん
あたい、わかったんだよ。〝あつい〟も〝つめたい〟もおんなじだって
はあ?
何訳のわからないことを、わかった、とか言っているんだろう。熱いと冷たい、あるいは暑いと寒いは、別じゃないか;だからこの間、チルノだって溶けてたんだろうに。と、思いはするものの、今目の前にいて元気いっぱいのチルノを見るとなんだか騙されているような気分になる。どっちが本当でどっちが嘘だったのかはよくわからないけれども、今のチルノは少なくとも寒いときのように元気だ。
こたつの中は暖かくてこたつを出ると寒いけど、こたつを開けっ放しにしといたら、暖かい場所と寒い場所が出来るんじゃなくて、混じり合って真ん中くらいのものが出来る。だから〝あつい〟と〝さむい〟は、混ざり合うことが出来る仲間、おんなじものなんだよ
何言ってるか全然わかんないよ
だから、水の中にお湯を入れたらぬるま湯になるでしょ!
いや、何となく分かるけど
だから、あついあつい、って言ってるけど、ホントは今はさむいんだ!リグルもこの理論を理解していいよ、あたいが特別にゆるしてあげる!
いや、熱で頭おかしくなったようにしか見えないかな
なんだか狐につままれたような気分にしかならない。言っていることは分かるけど、目の前で起こってる暑い夏と寒くない冬、寒いと元気なチルノと暑いのに元気なチルノ、の関連がわからない。ボクはバカになったんだろうか。心頭滅却すれば火もまた涼し、なんてことをアジャリ様も言っていた。でもアジャリ様は魔法使いだから、あんなの何か涼しくする魔法使ってるだけだろう。暑いものは、暑い。
しかし、真っ白い肌に透き通り様な青の血色、それを反映した服(彼女が冬を司る原始の巫女であるのなら、それは象徴的な祭事装束なのだろう)だった彼女が、今や褐色肌に玉の汗を浮かべて溌溂と日光の下で暑さを楽しんでいる。チルノも女の子だ;いつもより随分布地を少なくして夏を楽しむ彼女の姿は、いつものチルノとはまた別の、格別な魅力があった。
いや、暑さで溶けてるより全然いいよ。
おっ、リグル、あたいのナツオンナ姿に惚れたろ、惚れたろー?
なにいってんだよ。こないだのチーと比べて違いすぎて呆れてるだけだよ
今のあたいはカイホーテキなジョシだぜ。リグルにもチャンスがあるかもよ
なんのチャンスさ、なんの
それにしても、チルノにとってこの暑さは克服できたのかも知れないけど、ボクにとってはやっぱり暑いものは暑い。彼女があっちゃこっちゃと走り回って、仮に今が冬でそこに雪が積もっているのなら、一人でその辺一体を踏み固めるくらいの勢いで、今は土の地面を踏み固めている。ボクはそれを見ながら暑さにうだって木の陰で横になった。地べたは水分があるし草が水々しくって、幾らか涼しい。木の根の膨らみを枕にして横になってバカみたいにはしゃぎまわっているチルノを見る。
―ん?
なにか変なものが見えたような気がして、強めの瞬きをして、もう一度チルノの方を見る。やっぱり変なものが見えている。手で目をこすって、しっかりと目を見開いて見る。確かに、おかしな光景だ。彼女が走り回った後に、妙なものが一つ、地べたに落ちていないか。ボクは横になったばかりの体を起こして、改めて視覚情報を確認し直す。見直した視界の中で、チルノはそれを拾い上げて掴み、ボクの方へ歩み寄ってくる。そうだ、これは見間違いなんかじゃない。
何が、起こっている?彼女が持ってきたものは、ボクがそうだと思っている、本当にそれか?見間違いじゃないのか?
どうしよ
チー、まって、どうしたの、それ
どうしよ、あたい
ボクが横になっている間に地面に落ちたように見えた、褐色をしたなにかの塊。もう一度見直してもそれは地面に落ちていて、体を起こして見直したとき、チルノはそれを拾い上げて持ってきた。それが―
それがボクの目にも見えた通りなのだと、彼女は口にしていた。